【2015年1月17日(土)】
1995年1月17日。阪神淡路大震災から20年が経ち ました。
当時、大学卒業を前に高知の大学に通う高校の同級生宅へ 泊まりがけで会いに行った翌日の朝、震災が発生。テレビ の画面に映る信じられない光景に、大阪の家族と連絡とろ うとしたけれども連絡がとれない状況が続き、本当に生き た心地がしなかったことを今でも覚えています。
空路、大阪国際空港に戻って見た我が家は、外壁が剥がれ 落ちていましたが、家族は無事でした。大阪の中で一番被 害が大きかったのは豊中市で、近所には崩れた家や液状化 で傾いた家もあり、震災の被害を目の当たりにしました。
6000人を越える方々があの震災で亡くなりました。改 めましてお亡くなりになられた方々、ご遺族の皆様に心よ り哀悼の誠を捧げます。
家の倒壊で大学の友人が亡くなりました。最後にあったと きの彼女の笑顔がいまだに忘れられません。また、被災し た知り合いを探し回って再会できたときの喜びも忘れられ ません。
阪神淡路大震災の被災地には新しい建物が建ち並んでいま すが、心の中で震災の記憶はずっと生き続けています。こ れからもずっと胸に刻んでいたい。亡くなった方々に報い るためにも、このときの教訓と経験を生かし、災害対策に 取り組んでいくとともに東日本大震災の被災地の復興もや り遂げていきたい。
こうした決意と誓い新たに、追悼の思いを胸に、今日は天 皇陛下、皇后陛下ご臨席のもと行われた阪神淡路大震災2 0年追悼式典に参加させて頂きました。
阪神淡路大震災からの不屈の復興は世界の希望。人と人と の絆こそ、地域の希望の源。国民の生命を守る政治の実現 に全力で取り組んで参ります。
1995年1月17日。阪神淡路大震災から20年が経ち
当時、大学卒業を前に高知の大学に通う高校の同級生宅へ
空路、大阪国際空港に戻って見た我が家は、外壁が剥がれ
6000人を越える方々があの震災で亡くなりました。改
家の倒壊で大学の友人が亡くなりました。最後にあったと
阪神淡路大震災の被災地には新しい建物が建ち並んでいま
こうした決意と誓い新たに、追悼の思いを胸に、今日は天
阪神淡路大震災からの不屈の復興は世界の希望。人と人と